column

#教員1年目の君へ

あなたが教師である意味

初めまして。戦う職員室の鴻池俊輔と申します。前回投稿があった星野とともにオンラインサロンを立ち上げ、運営サポートをしております。公立校教員として勤務し始めてから間もなく六年。かわいい娘は2歳になりました。

 

さて、今日は「教員一年目の君へ」というテーマでお話をさせてもらいます。

教員一年目、初めて受け持った学級は5年生。右も左も分からないまま、とにかく日々必死でした。指導法を先輩に聞いていたらあっという間に18時。教材研究に明け暮れ、ふと気付けば日付が変わる。カリスマ学年主任や教育書籍に心酔し、あの手この手を真似してみては、子供の表情の違いに肩を落とす。

試行錯誤を繰り返し、少しずつ力量の高まりを感じることに喜びを感じつつも、気がつけば誰かの手法を真似をしていて、誰かの思考をなぞっていることに違和感を感じ始めました。「自分が教師である意味があるのか」と。

今回お伝えすることが、少しでも同じ悩みを抱く方の力になればと思います。

 

経験から抜け出そう

教員としての道を歩み始めるとき、どう歩けばいいのか、どこを目指して歩けばいいのかが分からず、不安になる人は多いのではないでしょうか。そんなとき、拠り所になるのが「経験」です。

経験豊富なあの先生のやり方を真似してみよう。

学ぶは真似ぶ。守破離の守。誰かの経験に足元を照らしてもらっている時の安心感は絶大です。案外転んでも痛くない。私自身、真似をしながら日々を過ごすことで、そこそこうまくやれました。子供たちもそこそこ楽しく学校生活を送っていたように思います。ですが、いつも「そこそこ」という感覚が付き纏っていました。子供の本来の力を引き出せていないのではないか。本来の笑顔を引き出せていないのではないか。霧がかかったような感覚です。

そこで、真似をすることをやめてみました。45分間子供たちだけで授業を進めたらどうなる?社会科の教科書の内容は家で読んできて、授業では議論のみ。朝の会と帰りの会をなくし、日直の裁量時間にする。

全くうまく行かないことだらけでしたが、転んだときには確かな痛みを感じました。自分の足で歩いている感覚がありました。「先生、次は何試す?」きらきらした顔でそう聞いてくる子供たちを見ると「そこそこ」という感覚は霧散していました

学ぶは真似ぶ。守破離の守。それはそれで大切なステップだと思います。

一方で、自らの頭で考え、経験を抜け出し、目の前の子供と色々試すということも大切にしてほしいと思います。

 

学校の当たり前を疑ってみる

学校には数多くの「当たり前」があります。教室の正面には大きな黒板があり、子供たちには一人一人机と椅子がある。号令とともに授業が始まり、冒頭にはめあてを設定し、終末にはまとめと振り返りをする。6年生は1年生の給食配膳の手伝いをするもので(コロナ前)、5年生の3学期は学校のリーダーとしての準備の学期である。学校文化の中で長年かけて醸成されてきたものなので、もちろんそれなりの意味も理由もありますが、一方で、時代にそぐわないことや費用対効果が小さいものも数多く存在します。

是非、学校の当たり前を疑ってみてほしいと思います。その際に気をつけたいことが「自分が受けてきた教育」によるバイアスです。つい自分の学生時代の経験から「そういうものだ」と流してしまうことが、実はたくさんあります。その結果が教育の再生産であり、変わらない教育、時代錯誤な教育へとつながっていきます。

「それが〇〇にとって何なのか」

子供にとって、教師にとって、保護者にとって、地域にとって、それは何の意味があるのかという原点を常に問い続け、感じた違和感を大切に抱き続けてほしいと思います。

 

あなたが教師である意味

突然ですが、私は国際支援活動に関心があります。世界中の子供たちをもっと笑顔にしたい。もっと幸せにしたい。そんな夢を抱き、大学卒業後は青年海外協力隊に参加しました。帰国後も、教員として日々を過ごす中でも、その夢に変わりはありませんでした。

自分が教師である意味はきっとここにあるんだろうな。

子供たちに世界をもっと身近に感じてほしい。自分たちと同じだけ大切な命と人生が世界の至る所にあることを感じてほしい。動き出すことの大切さを知ってほしい。

誰かの真似をし、周りと足並みを揃えて日々を過ごす中で、自分が子供たちの前に立つ意味のために行動することを決意しました。

・価値観や視野を広げるためのコミュニティづくり

・オンライン国際料理教室

・海外の日本語学習者に対する俳句講座

・学級とスリランカの大学をzoomで繋いでの交流授業

夢を追う姿を子供たちに見せ、自分だからできることをしました。子供たちの表情が変わりました。(詳しくは別の機会に

波風は立ちます。エネルギーも要ります。ですが、できます。

あなたが教師である意味を問い続け、行動してほしいと思います。

 

最後に

教員という職は生涯をかけるに足るやりがいとおもしろさに満ちています。

入り口に立ったに過ぎない私でも、その魅力と可能性を十分に感じています。

あなたは何でもできる。何者にでもなれる。

いつの日か共に何かを成し遂げられる日を、楽しみに待っています。