column

#教員1年目の君へ

#教員一年目の君へ

 まず、簡単に自己紹介をしますね。岡山県の小学校教諭として15年勤務。その間、1993年から二年間、JICA海外協力隊に参加し、中米ホンジュラス共和国に派遣されました。帰国後、現場復帰するも、パートナーの実家のある青森県の教員採用試験を受け直し、2003年より青森県教諭となり、19年目。 現在は、小学校校長として勤務しています。
 
 今、学校現場には、若い先生がどんどん入ってきています。そんな先生方に、自分の教員一年目のことを思い出しながら、書いています。「お話は五つ」です。
 
 いきなり小学校2年生の学級担任でした。毎日が目まぐるしい日々でした。
 

若さは最大の武器、自信をもっていこう

・一年目、小学校2年生4クラスの一つ、D組の学級担任。学校からの手紙や宿題プリントを配り忘れたり、ある日は授業がうまく流せなくなって、「みんな、もう一回最初からやってもいい?」と話してやり直したりしました。そんな数々の失敗をやらかしましたが、子どもたちは「だいじょうぶ。」と慰められ、先輩の先生方からは「先生には、若さという武器があるから平気、子どもたちはみんな先生のことが大好きよ。」となぞの励ましを頂いていました。でも、これが有難かったです。
 
・うちのクラスには、双子の女の子Aさんがいました。学期末が近づくにつれ、隣のクラスの双子のBさんの成績が気になり始めました。1年目の私と教員15年のベテラン教員とでは、指導力に歴然の差があります。単元末の算数のテストでAさんは、53点。Bさんが80点とか取っていたらと思うと気が気ではありません。Bさんの点数を聞いてみると、55点でした。いいのか悪いのか安堵した私でした。
 

緊張の家庭訪問、揺るがない座右の銘を探そう

・当時は、毎年4月に家庭訪問がありました。クラスの子の自宅を訪問し、保護者と話をします。1ヶ月前まで大学生だった私にとっては、緊張の極み。何を話すか、何を聞けばいいか、いろいろ先輩から教えてもらいました。その中の言葉で、今も座右の銘になっている言葉を紹介します。
「花を咲かせるのが教師の仕事ではない。花の蕾を摘まないことが教師の仕事」
子どもへの声掛けが、大切といわれます。小学生のころ、先生に「絵が下手だね」とか「いつも字が汚いね」「運動は苦手だね」と言われたことがあるというのをテレビで時々目にすることがあります。
 確かに、教室で指導をしていて、そう感じることもあります。でもそんなときの声掛けは「なるほど工夫したね」とか「勢いがある力強い字だね」とか「だんだんいい感じになってきたよ」と励ます、コーチングの気持ちでの声がけが必要です。特に小学校段階では、その子の未来に大きく花を咲かせるかもしれない、小さな小さな蕾を絶対に摘み取らない、その自覚と指導が不可欠なのです。
 この言葉を今も心にとめて、子どもたちの指導に対峙しています。
 

ある朝、目覚めたら、8:30。生活リズムを大切に

・電話の音で目が覚めました。何だろうと出てみると「先生、体調でも良くないのですか。」うちの学校では、毎朝、職員集会をやっていました。そこに私がいないので教頭先生が電話をかけて下さいました。はい、寝坊です。慌てて着替えて、それもいつものジャージでなく、スーツを着て学校に向かいました。
「先生、今日、何かあるの、服がかっこいいよ。」と子どもたちの反応。「ちょっとな。」と言葉を濁したものの、この日から目覚まし時計は、2個になりました。そして、この日以降、睡眠時間は削らないようにしました。
 

管理職からの一言に、反論・反抗

・春の運動会、校長先生が私に「先生、うちの学校の運動会は日本一じゃろ、そう思わんか。」と言われ、「まだ他での経験がないので、なんとも言えません」と答えると、校長先生は顔色を変え去って行きました。それから当分の間、気まずかったです。また、学期末、通知表の下書きを提出したら、「先生、算数が5の子が5人おる。先生のクラスは、割合から評定5は4人と決まっています。直して渡して下さい。」と言われました。「はい」と答えましたが、納得できなかったので、そのまま子どもたちに配布しました。テスト結果、授業の様子、宿題や課題の取り組み、何度も見直したけど、5人とも素晴らしかったから、一人だけ評定を下げることはできませんでした。
 子どもとはいえ、評定を出すことは、本当に責任が重いと感じていました。自分の評定が正しいのか間違っているのか、毎回悩んでいました。そして、今でも悩んでいます。
 

職員室の外の世界を充実させよう 気分転換だし収穫大!

・教員一年目は、夜が充実していました。学校が終わると、そのまま繰り出していました。
月曜日は、習字。字が汚かったので少しでもきれいに書こう、心も鍛えようと思いました。やってみて、筆の使い方が初めて分かりました。
火曜日は、中国語講座、大学で学んでいたことを続けていました。今の外国語指導にこの経験が生きています。
水曜日は、バドミントン、教員仲間のサークルに入れてもらい、汗をかいていました。何も考えずただただシャトルを打っていました。他の学校の先輩教員との話も楽しかったです。
木曜日はオフ。
金曜日は池坊。お師匠さんは、山磨先生で70代のおじいちゃん、80人のうち、男は私だけ。本当に非日常の世界でした。週明け、教室のテレビの横の花器に花を生けていました。日本の伝統「華道」の奥深さを体感できました。
土曜日は、付属小の算数サークルに行っていました。県の研究に触れることが刺激的でした。これがない日は、硬式テニス。「アクアマリンテニスクラブ」と命名し、地域のおじさん、おばさんとプレー。色んな年代の方とのお話はおもしろかったです。
 学校と違うコミュニティに入ると、たくさんの情報をもらえます。そして、様々な立場からのアドバイスや新たな学びもあります。そして何より気分転換にもなります。今になってその頃の経験が、教員の仕事に役立っていることを実感します。職員室の外での学びに無駄はないと思います。
 
 
最後に、教師になって初めて担任させてもらった子どもたちは、一生、忘れられません。何かある度に、そのときの教室の風景、授業で一緒に笑ったこと、一緒に校庭を走り回って遊んだこと、最後の日に泣きながら別れたこと、この文章を書きながら、次から次へと思い出されてきました。
やっぱり、教員って、世の中で最高の仕事だと思う。間違いない。