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#教員1年目の君へ

非カリスマ型教師一年目の極意

サッカー日本代表、森保一監督が書いた本のようなタイトル。

私は中学校教員である。
担当教科は数学、サッカー部顧問を務めている。

ごくフツーのしがない教師である私が、一年目を振り返る。
一年目の先生を励まし、ヒントになれば幸いである。

 

恩師のことば

教員一年目は講師(臨時採用)として始まった。
前年度、就職活動と教育実習の両方を経験した。
小学校での教育実習で
“自分は教師に向いてない”
と自覚し、就職活動を始めた。
「企業を経験してから教師になりたい。」
周囲にはこう伝えていた。
聞こえは良いが、現実を受け入れられない一種の逃げであった。
様々な企業を知り、新たな世界を知ることは楽しかった。
そんな中迎えた教育実習。
中学生の授業や日々のやりとりに楽しさを感じた。

「お前は、最初から教師になったほうがいい」
飲み会の場で、恩師にこう言われたことで背中を押され、教師の道を歩み始めた。

 

リアル学校現場

4月の職員会議。
教育実習中には立ち入れなかった。
“万引き”、“喫煙”、“児相”、“ネグレクト” …
飛び交う言葉に学校現場のリアルを感じた。

行き場をなくし、時々勤務校を訪ねる卒業生がいた。
長髪の茶髪にピアス。
作業服にタバコの残り香と香水が入り混じっている15歳。
怖気づくことはなかったが、覚悟が必要だと悟った。

そんな中出会ったY先生。
けだるそうな雰囲気を醸し出す40代後半の男性で野球部顧問。生徒指導主任であった。
空き時間になると「見回り行ってくる」とタバコを吸いに出る。
やる気のなさそうなY先生だが、毎朝欠かさずに下駄箱をチェックする。
「朝が一番表情が出るんだよな」
Y先生は全校生徒をほぼ覚えているようだった。
怒鳴ることはほとんどない。
でもやんちゃな子も、個性強い子も、みんながY先生の話を聞く。
授業も部活動指導もすごい人であった。

 

授業がヘタすぎる

講師(臨時採用)1年目は副担任だった。
担任と比べて授業数が多めに組み込まれている。
また学校の方針として教師が出張などで不在でも自習にしないと決まっていたので、毎日のように時間割を変更し(この作業がめっちゃ大変)授業を行った。
そのためか、ほぼ毎日空き時間なしで授業をしていた。
※毎日ノンストップの小学校の先生を心から尊敬しています!!!

授業に関しては教育実習で少し手ごたえを感じていた。
しかし、それは過信だったとすぐ悟る。
実習ほど授業準備に時間はなく、学校業務や部活動指導、生徒指導も並行して行う。
準備万端だと自信があるが、準備不足だと自信が持てない。

ある生徒が担任に愚痴をこぼす。
「なんか黒板と授業やってんだけど」

円滑に授業を回していたのは最初の1か月だけ。
そこから授業準備が間に合わず、その場で教科書を見ながらアドリブでやっていた。
だからテンパる。
下や黒板を見る。
自信がないから子どもと目を合わせられず、教室の後ろのとある一点ばかりに目をやる。

これはまずいと思い、有効な授業準備はないかと考えた。
そして気づいた。
・数学は1つ教えれば、それを参考に他も解けること
・上手く教えられないことは、子どもに尋ねること
振り返るとどうかなと思うこともあるが、自分を見失わないために工夫しようとはしていた。
平日時間が取れない分、週末は書籍を読み漁って授業に取り入れた。

 

部活嫌いの部活指導

中学校教師の道を選んだことにもう迷いはなかった。
しかし、1つだけ心残りなものがあった。

“部活”

である。
中学校教師なら避けて通れない道である。

教育実習でも避け続けた。
幾度もの誘いを華麗に断ってきたが、働くとなると避けては通れない。

私自身、部活が好きではなかった。
サッカーは好きだったが、中学時代から加入したサッカー部は力を注げるものではなかった。
高校時代はサッカー部に加入するものの、すぐに辞めた。
自称帰宅部のエースを名乗り、早く帰ることと、ランニングや家でのビリーズブートキャンプに尽力した。
体力テストでサッカー部に勝つことを目標としていた。
なんとも中途半端な生き方である。

「若いし、走れそうだからサッカー部を持ってもらいます」
校長に言われ、サッカー部顧問が決定した。

バリバリではないが、サッカーが嫌いではない。
これがサッカー部を見た最初のイメージである。
副顧問という立場なので、サポートに回ろうと決めていたが、
「管理職試験受けるから夏休みほとんど出れんのよ。よろしく」。
主顧問の先生のこの言葉により、私が主となったサッカー部が始動する。
その日からサッカーの指導法を求め、本を買いあさった。

「え~先生ひとりなんですか~?」
この言葉から始まった夏休み。
しかし、相手にしていては進まない。スルーする力を身に付けた。
声を出し続け、叱咤激励しまくり、体力を使い果たした。
夏の新チームの大会で地区3位。
今まで取ったことない結果を境に、子どもから信頼されるようになった。

 

今なお思い出深い2人

・Tくん
やんちゃなTくん。
頭の両サイドを刈り上げ、ウド●木のようなヘアスタイルで登校した日もあった。
保護者もやんちゃで、当時シャコタンのクラウンに乗っていた。

Tくんは技術があった。
しかし、メンタルコントロールが苦手だった。
上手くいかないとキレる。
負けるとキレる。
モノにあたりちらし、審判に暴言を言う。
キレると帰る。
何度も追いかけた。
何度も戦った。
キレるたびに話をした。
彼は少しずつ心をコントロールできるようになっていった。

そんなTくんとは翌年、試合会場で再会した。
私は異動した学校でサッカー部を担当していた。
神様のいたずらか、勝った方が県大会に行けるという試合である。
もつれる試合展開のなか、勤務校が勝ち、Tくんは負けた。
彼はずっと下を向いていた。
試合後、Tくん自ら私のところへ来た。
キレていない。笑顔である。
彼から握手を求められ、強く握り返した。
「負けました。強かったです。」
彼の成長した姿に感動した。

・Mくん
Tくんとは対照的な不器用で真面目な男だった。
努力を欠かさない男でもあった。
好きなサッカー選手は、中村俊輔。
サッカーノートも書いていた。

彼は、技術がなかった。
足も遅かった。
センスもなかった。

試合中たくさん叱った。
ポジションチェンジや交代もした。

落ち込んだが、へこたれなかった。

「先生、朝練したいです!」
当時朝練はやっていなかったが、本人からの強い申し入れがあった。
翌朝、彼がひとりでボールを蹴る。
次第に1人朝練の参加者が増え、センタリングの練習を始めた。
1人、また1人と増えるメンバー。
最後は全員で朝練をしていた。

誰よりも上手くなった彼に、キャプテンを任せた。

私の異動が決まった日。一番落ち込んだのは彼だった。

中学3年生。Mは、他のサッカー部員が声をかけられ進路選択をしていく中、自分の意思で高校を決め、合格した。
サッカー部が同学年に数名の弱小だが、そこでもキャプテンとなり、同じ中学校のメンバーがいる高校を倒し、トーナメントを勝ち上がった。

「先生に見てもらった中2が一番伸びました」
そんな彼ももう22歳。
毎年、こんな電話をしてくる。

今は立派な警察官。
そして社会人チームでサッカーをしている。
少年団のコーチとなるため、勉強中とのこと。
コロナが落ち着いたら酒を飲もうと話をしている。

 

私から教員一年目の君へ

非カリスマ型教師一年目の極意。
きれいなことでないが、以下のことである。
・勉強すること
・行動すること
・一生懸命やること
・時間を決め、たくさん仕事をすること
・笑顔でいること

大学で習ったことなどほとんど使えなかった。
スタートラインは同じだが、教師になってから勉強したり行動したりした分だけ差となる。私に関しては人よりスタートラインが後ろだった。だから学んですぐアウトプットしていかなきゃ自分がやられていた。
1年目は恥ずかしながら定時では帰れなかった。
しかし、長々するのではなく、帰る時間を決めたくさん仕事をした。
「仕事下手だな~上手くふってよ」
と言われたが、自分で仕事をこなした人が上手く仕事を振れると思っている。
今、校内研究、生徒指導、宿泊学習担当、小学校への授業、ICT推進、部活の地区大会運営など、一年間に行う仕事は増える一方だが、今早く帰られるのはこの時の経験があるからである。

そして大事なのは笑顔でいること。
生徒指導が多発すると疲れるが、そういう教育困難校の方が笑顔の先生が多く、チームワークがいい。笑っていると子どもの悪事も笑い話になり、心に余裕が生まれる。

つらつらと自分の一年目を書いてきた。
上手さはなく、ひたすら一生懸命にやった。
でもそっちのほうが子どもに伝わった。
翌年に異動したが、練習試合をしに前任校を訪れると、サッカー部だけでなく、吹奏楽部、バレー部、バスケ部など多くの生徒が練習を止め、校庭に集まってきた。

上手さより一生懸命さが勝つ。

振り返ってみて恐ろしいことが1つ。
このまま学校現場に没頭していたら狭い世界を生きる男になっていたということ。(なりかけていたが)

学校現場の外の世界を常に意識して過ごせ。
1年目の自分にはこれも併せて伝えたい。