column

#教員1年目の君へ

失敗だらけの1年目

私は小学校教師17年している三浦健太朗といいます

今日は、教員1年目の君へ、ということで書かせていただきます

 

私は尊敬する先輩から失敗談をたくさん教えてもらいました

「こうしなさい」

と言われるよりも、多くのことを行動化できました

とにかく、私の失敗談を書いていきます

そんなこともあるんだ!と適当に読んでくれたらと思います

そして、私と同じような失敗をしないことをおすすめします

 

 

先生なんか大っ嫌い

 

私の教師1年目は、講師として北海道の留萌市というところで始まりました

教育実習でしか授業をしたことがない私

基本的な技術もなくひどい授業でした

理科の専科として失敗だらけの毎日でしたが、

「子どもの声に耳を傾けよう」

という信念みたいなものはありました

聞こえはよいのですが、客観的にみるとひどいものです

黒板に書いためあてを子どもたちが書き写すだけで3分かかります

「かいた?」

「まだ」

というやりとりが、無駄に続きました

すぐに書き終わっている子は、永遠と3分待つだけ

そんな授業が毎日だから、

「先生の授業、面白くない」

「前の先生の方がよかった」

と子どもたちから言われるようになりました

「先生なんか大っ嫌い」

とも言われました

夢に燃えていた自分が情けなくなり、叱って押さえつけるようになりました

はじめは、言うことを聞くように見えました

しかし、授業は崩壊

学校に行くのが嫌になりました

担任の先生に授業に入っていただけるように頼み、何とか持ち直しました

向山洋一の本を繰り返し読み、授業の基礎力から見直しました

 

 

毒キノコを食べる

 

理科の専科ということで、昼休みは子どもたちと一緒に裏山で植物の観察を始めました

ひときわ、子どもたちから人気なのはキノコ

ある日、急に土の中から出てくる姿。子どもたちは見つけると実に楽しそうです

そのうち、キノコ図鑑をもっていって、毒きのこを見分けるようにしました

ある日、多くの問題を起こすA君と一緒に、キノコを見て歩いていました

「これは食用だね」

と私が言うと、その子はキノコを口の中に放り込みました

はっとしましたが、食用といった手前、止めることもできませんでした

よく調べてみると、A君が食べたキノコは、食用とよく間違えられ、食中毒を起こす猛毒のキノコだと判明しました

血の気が引きました

みなさんにばれるのが怖かったため、ちょくちょく教室へ様子を見に行きました

何事もなかったように、彼は授業を受けています

しかし、いつ中毒を起こすかわかりません

担任の先生に話し、病院へ連れて行ってもらうことにしました

お医者さんの判断で胃洗浄をすることもなく、様子を見ることになったようです

キノコなんてプロでも間違う食物

それを判定するなんてよほど怖いことをしていました

そして、問題が起きてもすぐに周囲の先生に報告しなかったことは、今でも血の気が引くような恐ろしい経験です

 

 

服装で信頼をなくす

 

大学を出たてで、スーツは一着だけ

服装にも全く頓着しなかったので、毎日ほぼ同じジャージで登校しました

小学校の文化祭のような行事で、未成年の主張みたいなコーナーがあり、

「三浦先生は、なんで毎日同じジャージばかり着ているんだ!!」

というネタを子どもがやったところ、全校が大爆笑になりました

見ると、同僚の先生まで笑っています

その時、ようやく自分がそんな目で見られていたのだと気付きました

翌日、すぐに旭川市まで1時間半自動車をとばし、新しいジャージを買いに行きました

すぐに反応した私が面白かったらしく、

「子どもに言われたから買ったのか?」

とさらに同僚から笑われました。

保護者からも、

「最初、あまりにも丈が短いジャージを着ている人がいたので、到底教師には見えなかったわよ」

とも言われました

服装が人に与える印象は大きいものです

 

 

問題解決できずに泣く

 

学習発表会のとき、私は4年生を手伝うように担任の先生から言われました

要項には講師であった私の所属は書かれておらず、あくまでも個人的な依頼のようでした

私もそのとき、管理職や教務に確認すればよかったのですが、そんな知恵もありません

体育会系のノリで

「わかりました!」

と安請け合いしてしまいました

後日、他の学年から

「どうしてこっちには手伝ってくれないの?」

と言われ、嫌な思いをするはめになってしまいました

4年生の先生からは、劇のために大きな木を作るように言われました

どうやって作ったらよいかもわからず、用務員さんに相談しました

当然、用務員さんの仕事は劇の道具を作ることではないので、困惑させてしまいました

とてもいい人だっただけに、申し訳ない思い出です

土日に出てきて、作り方を聞きながら小麦粉を水で溶いたものを新聞紙に塗り重ね、なんとか大きな木を作成することができました

しかし、学習発表会の打ち上げで、お酒が入った4年生の先生に、上手に木を作ることができなったことを責められ、私は泣いてしまいました

できないことを引き受けるには、わからないことを聞く、ということを早め早めに実行しなければならないことを知りました

 

 

同僚を選ぶ

 

赴任した留萌の小学校には、あこがれの先輩がたくさんいました

授業の名人

学級経営の名人

音楽の名人

今考えても、すごい学校でした

当然、あこがれの先生たちがたくさんいて、空き時間には授業を見せてもらっていました

半面、この人には尊敬できない、というようによい先生とそうでない先生を、自分の中で分けていました

つまり、同僚を選んでいたのです

飲み会でも、あこがれの先生のところに行く

あこがれていない先生が近づいてきたら、すぐに移動してしまう

はたから見て、本当にひどい人間だったと思います

一人一人のもつ良さを見る目がなかったのです

 

 

子どもの声で気付く

 

こんなに失敗を重ね、授業技術を高めていけるようにしました

掲示板に理科新聞をはり、子どもたちの活躍を知らせるようにしました

化石があると聞き、川に行って重たい石を理科室に運び込み、子どもたちと一緒に化石探しをしました

仮説実験授業という講習会にとびこみ、たくさん教材を購入しました

とにかく、よい授業をするために、必死でした

 

「先生の夢はなに?」

と言われると、私は必ず

「いい先生になりたい」

と言っていました

子どもからもらった手紙の中に

「先生はすでに、いい先生だと思います」

という言葉があり、はっとしました

授業は下手だし、人間的にも未熟

だけど、子どものノートには、精一杯のコメントをしてきました

ノートの中に、周囲には秘密にしている進学についての悩みを打ち明けてくれる子もいました

人としては、いいつながりをし続けようとしてきました

技術は未熟でも、心ではつながっていた

 

「先生はすでに、いい先生だと思います」

 

自分の教員一年目を、いまでも誇りに思える素敵な言葉のプレゼントでした

とにかく失敗しても大丈夫

自分たちのために一生懸命な人を、子どもたちは敏感に見抜きます

その目を信じて、日々頑張ってほしいと思います